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東京高等裁判所 昭和59年(行ケ)238号 判決

一 請求の原因一ないし三の事実及び審決がその理由の要点1、2で認定した事実は、当事者間に争いがない。

二 そこで、原告主張の審決取消事由について検討する。

1 本願第一発明の臨界的効果について

(一) 本願第一発明がナフタレンの接触気相酸化による副生物として無水フタル酸を伴う一、四―ナフトキノンの製造方法に関するものであつて、請求の原因二の特許請求の範囲第一項に示す構成を有するものであることは、当事者間に争いがない。

右事実によれば、本願第一発明で用いる触媒は「酸化バナジウム触媒」であつて、酸化バナジウムを含有すること以外にその組成に関し何らの限定もないこと、また、その反応条件に関しては、ナフタレンの接触気相酸化を「固定触媒床にて行ない且つ反応空間中にナフタレンを基準にして〇・〇〇二~〇・一重量%のイオウ濃度を保持する」ことを要件とするのみで、反応温度、反応ガスの空間速度等その他の反応条件について一切の限定はないことが認められる。

本願第一発明の規定する右イオウ濃度の限定の意義につき、成立に争いのない甲第三、四号証により認められる昭和五六年八月七日付手続補正後の本願明細書(以下、この補正後の本願明細書を「本願明細書」という。)の発明の詳細な説明中には、「本発明により、ナフタレンの接触気相酸化による無水フタル酸を伴う一、四―ナフトキノンの製造方法において、反応空間中に、低濃度で、イオウを存在せしめる方法が見い出された。一般に、このイオウ濃度は用いられるナフタレンに対して計算して重量で約〇・〇〇二から〇・一%、好ましくは約〇・〇〇五から約〇・〇五、特に重量で約〇・〇一から約〇・〇二%、である。」(甲第三号証三欄一〇~一七行)、「本発明に従つて維持されるべきイオウ濃度の特に好適な範囲は用いられる触媒および選択される試験条件に依存し、単純な試験によつて決定することができる。例えば約一〇重量%のV2O5、六〇~七〇重量%のケイ酸および二〇~三〇重量%の硫酸カリウムからなる触媒、三八〇~四〇〇度Cの反応温度という条件に対しては、使用するナフタレンの重量を基準にして〇・〇一~〇・〇二重量%のイオウ濃度が好ましい。」(同七欄一七~二六行)と記載され、その効果について、従来方法の一、四―ナフトキノンの空時収率が四・四g/l.h、一七g/l.h、一四g/l.hであつたのに対し、本願第一発明においては約四〇g/l.hである旨が記載されており、実施例としてナフタレンを基準にして〇・〇一五重量%のイオウ濃度を保持した九例(実施例二ないし一〇、このうち、実施例五はイオウ源としてチオフエンを〇・〇四重量%加えたもの、実施例六は同じくチオナフテン〇・〇六三重量%加えたもの、実施例七は同じく二酸化イオウを〇・〇三重量%加えたものであるが、これをイオウに換算すると、いずれもナフタレンに対して〇・〇一五重量%となることは当事者間に争いがない。)が、比較例として〇・四重量%のイオウ濃度を保持した例(実施例一)と共に挙げられているが、その他に右イオウ濃度限定の意義を示す記載はないことが認められる。なお、右比較例及び各実施例の反応温度、収量、一、四―ナフトキノンの空時収率の値が別紙表Iのとおりであることは当事者間に争いがない。

右事実によると、本願明細書中には、本願第一発明の規定するイオウ濃度の臨界的意義を明らかにするに足りる記載はないといわなければならない。けだし、本願第一発明の一、四―ナフトキノンの収率が約四〇g/l.hであつて従来方法の収率に比し増大しているとしても、従来方法が本願第一発明とそのイオウ濃度についてのみ相違する方法であることは示されていないから、右臨界的意義は明らかでないのみならず、本願明細書中の右実施例九例(実施例二ないし一〇)はいずれもイオウ濃度を〇・〇一五重量%としたものであつて、比較例(実施例一)のイオウ濃度は本願第一発明の規定するイオウ濃度の上限値〇・一重量%と大きくへだたる〇・四重量%であるから、これによつては、右上限値の臨界的意義を明らかにしたものということはできないからである。

(二) 原告は、本願第一発明の反応空間内イオウ濃度の特定による臨界的効果は本願比較実験結果により明らかである旨主張する。

そして、成立に争いのない甲第七号証の一・二、甲第一〇号証によれば、本願比較実験結果には、酸化バナジウム(V2O5)六・八重量%、硫酸カリウム(K2SO4)とビロ硫酸カリウム(K2S2O7)合計四三・二重量%、シリカ(SiO2)担体五〇重量%の組成よりなると推認される触媒を用いて、反応空間内イオウ濃度(原料ナフタレンに対するイオウ濃度)を、本願第一発明の規定するイオウ濃度の上限値より多い〇・一五〇重量%、右イオウ濃度の範囲内の〇・一〇〇、〇・〇一五、〇・〇〇二各重量%及び右イオウ濃度の下限値より少ない〇・〇〇一重量%として、本願第一発明の一、四―ナフトキノンの合成実験を行なつた結果が表にまとめられて示されていることが認められ、これに一、四―ナフトキノン及び無水フタル酸の収率のモル%を加えて示すと別紙表Ⅱのとおりとなることは当事者間に争いがない。

右の表Ⅱによれば、本願比較実験結果において、反応空間内イオウ濃度が本願第一発明の規定するイオウ濃度の範囲外の〇・一五重量%から右イオウ濃度の上限値〇・一〇重量%に〇・〇五重量%減少すると一、四―ナフトキノンの収率(用いたナフタレンのモルに対する百分率、以下同じ。)は五・二モル%から一八・一モル%へと約三・五倍増加し、イオウ濃度が右上限値〇・一〇重量%から〇・〇一五重量%に〇・〇八五重量%さらに減少すると一、四―ナフトキノンの収率は一八・一モル%から三〇・六モル%へと約一・七倍増加し、これを最大値として、以後イオウ濃度が減少すると一、四―ナフトキノンの収率は減少し始め、イオウ濃度が本願第一発明の規定するイオウ濃度の下限値〇・〇〇二重量%を境にして急激に低下することが認められる。

右事実によると、前示特定の組成の酸化バナジウム触媒を用いた場合においても本願第一発明の規定する反応空間内イオウ濃度の上限値〇・一〇重量%の限定が格別臨界的意義を有するものと認めることはできない。けだし、右事実によれば、一、四―ナフトキノンの収率に及ぼす影響は、イオウ濃度を〇・一五重量%から〇・一〇重量%に減少させた場合の方がイオウ濃度を〇・一〇重量%から〇・〇一五重量%に減少させた場合よりも大きく、右上限値〇・一〇重量%を境にして、イオウ濃度の変化に伴い一、四―ナフトキノンの収率が顕著に相違するということは認められないからである。

のみならず、本願第一発明はその触媒を「酸化バナジウム触媒」と規定するのみでその余の組成につき何らの限定を加えていないこと前叙のとおりであるから、本願第一発明の規定する右イオウ濃度の限定が臨界的効果を示すものというためには、そのことが他の組成の酸化バナジウム触媒についてもいえなければならないことは明らかである。

そこで、引用例をみると、成立に争いのない甲第五号証によれば、引用例には、酸化バナジウム(V2O5)一〇・八重量%、硫酸カリウム(K2SO4)一〇・〇重量%、ピロ硫酸カリウム(K2S2O7)三〇・〇重量%、酸化タングステン(WO3)一五・〇重量%、シリカ(SiO2)を主成分とする担体TG―A三四・二重量%の組成を持つ触媒一六一を用いて、ナフタレンの接触気相酸化により無水フタル酸と共に一、四―ナフトキノンを製造する方法において、右接触気相酸化を固定触媒床にて行い、かつ反応空間中にナフタレンを基準にして〇・一二重量%のイオウ濃度を保持して右方法を行なつた結果が示され(甲第五号証三〇二頁表3)、これと共に、この反応系に亜硫酸ガスを〇・一八モル%、〇・五モル%添加した場合の一、四―ナフトキノンの収率(モル%)に及ぼす影響が亜硫酸ガス無添加の場合すなわち反応空間内イオウ濃度〇・一二重量%の場合を基準として示されている(同号証三〇三頁図9及び同頁左欄一二~一五行)ことが認められる。この亜硫酸ガス無添加の場合、同ガス〇・一八モル%及び〇・五モル%添加の場合を反応空間内イオウ濃度(原料ナフタレンに対する重量%)に換算した上一、四―ナフトキノン収率との関係を示すと別紙表Ⅲのとおりとなることは当事者間に争いがない。

引用例の触媒一六一を用いた右方法が本願第一発明とそのイオウ濃度の相違を除いて一致することは、本願発明の特許請求の範囲第一項の記載に照らし明らかである。したがつて、仮に前記本願比較実験結果が本願第一発明の規定する反応空間内イオウ濃度の特定に原告主張の臨界的効果があることを示すとするならば、引用例の触媒一六一を用いた右方法においても、そのイオウ濃度を原料ナフタレンに対し〇・一二重量%以下に減少させたとき、本願比較実験結果において見られたと同じ効果が発現しなければならないと考えられる。

そこで、この点を検討すると、前示表Ⅲに見られるとおり、引用例の触媒一六一を用いた方法では、本願第一発明の規定するイオウ濃度の上限値〇・一〇重量%よりも高い〇・一六五重量%、〇・一二重量%において、その一、四―ナフトキノンの収率は、本願比較実験結果における最高の収率三〇・六モル%をすでに上廻る三四モル%、三六・〇モル%に達していることが認められる。一方、前示表Ⅱによれば、本願比較実験結果におけるイオウ濃度を〇・一五重量%から〇・一〇重量%に減少させた場合の一、四―ナフトキノンの収率の増加率がイオウ濃度〇・〇一重量%当たり平均して二・五八モル%であることは計算上明らかであるから、この増加率によりイオウ濃度〇・一二重量%における一、四―ナフトキノンの収率を計算すると約一三モル%となることが認められる。そうとすると、本願比較実験結果において、イオウ濃度を〇・一二重量%から〇・〇一五重量%に減少させた場合一、四―ナフトキノンの収率は約一三モル%から三〇・六モル%と約二倍強となるところ、これを引用例の右方法に適用すれば、引用例の右方法においてイオウ濃度を〇・一二重量%から〇・〇一五重量%にまで減少させれば一、四―ナフトキノンの収率は三六・〇モル%の二倍強少くとも七〇モル%となるものといわなければならない。しかしながら、酸化バナジウム触媒の存在下においてナフタレンを接触気相酸化により無水フタル酸と共に一、四―ナフトキノンを製造する方法において、一、四―ナフトキノンの収率が右のように高率のものとなることは、前示表Ⅰ、Ⅱに見られる無水フタル酸と一、四―ナフトキノンの生成割合、また、前掲甲第三、第四号証により認められる本願明細書及び前掲甲第五号証により認められる引用例の記載に照らしても、到底認めることができず、その他これを認めるに足りる証拠はない。

以上の考察によれば、本願比較実験結果に示される反応空間内イオウ濃度の一、四―ナフトキノンの収率に及ぼす効果は、本願比較実験結果に用いられた反応条件下における特定の酸化バナジウム触媒についてのみいえることであつて、これを酸化バナジウム触媒一般に押し及ぼすことはできず、したがつて、本願第一発明の規定するイオウ濃度の限定による効果と直ちに認めることはできない。

その他、本願第一発明の規定するイオウ濃度の限定が臨界的効果を有するとする原告主張を認めるに足りる資料は、本件全証拠によつてもこれを見出すことはできない。

2 本願第一発明の容易推考性に関する審決の判断について

引用例の触媒一六一を用いた前示方法が本願第一発明とそのイオウ濃度の相違を除いて一致すること、引用例には、反応空間内イオウ濃度を〇・一二重量%とした場合を基準にし、これに亜硫酸ガス〇・一八モル%及び〇・五モル%を添加した場合の一、四―ナフトキノンの収率に及ぼす影響が図9として示されていることは前叙のとおりである。そして、前示表Ⅲによれば、亜硫酸ガス〇・五モル%添加(反応空間内イオウ濃度〇・二四五重量%)の場合から同ガス〇・一八モル%添加(同イオウ濃度〇・一六五重量%)の場合へと反応空間内イオウ濃度が減少するに伴つて一、四―ナフトキノンの収率は増加し、この収率増加の傾向は、増加率は右に比べて低いものの、同ガス無添加(同イオウ濃度〇・一二重量%)へとさらに反応空間内イオウ濃度が減少する場合においても認めることができる。

右事実によれば、酸化バナジウム触媒の存在下においてナフタレンの接触気相酸化を固定触媒床にて行ない無水フタル酸と共に一、四―ナフトキノンを製造する方法において、反応空間内イオウ濃度を減少させれば、一、四―ナフトキノンの収率は増加することが開示されているということができる。そうとすれば、右製造方法において反応空間内イオウ濃度を右引用例の図9に示された〇・一二重量%よりもさらに低減させれば、一、四―ナフトキノンの収率の向上が望めるであろうことは、右引用例の開示に基づき、当業者が容易に想到できることと認められる。そして、右イオウ濃度の低減に伴う一、四―ナフトキノンの収率に対する影響は実験によつて容易に確認できることであるから、この実験に基づき一、四―ナフトキノンの収率に好適なイオウ濃度の範囲を本願第一発明の規定する「ナフタレンを基準にして〇・〇〇二~〇・一重量%」とすることは当業者の適宜定められることであり、格別の発明力を要しないものと認められる。本願明細書中の先に引用した「本発明によつて維持されるべきイオウ濃度の特に好適な範囲は用いられる触媒および選択される試験条件に依存し、単純な試験によつて決定することができる。」との記載(甲第三号証七欄一七~二〇行)はこのことを裏づけるものと認められる。

また、このことは、本願第一発明の一、四―ナフトキノンの空時収率の最高値が別表Ⅰに見られるとおり最高三八・九g/l.h(実施例四、五)であり、引用例の触媒一六一を用いる方法のそれが前掲甲第五号証によつて認められるとおり二〇・五g/l.hであつて、本願第一発明の方が高い値を得ていることによつても左右されない。けだし、それは右実験により確認された結果にすぎず、この空時収率を得るために引用例からは予測できない格別の手段がとられたとしても、このことが本願第一発明の要旨とされていないことは、前示本願発明の特許請求の範囲第一項から明らかであるからである。また、一、四―ナフトキノンの収率について見れば、表Ⅰの示すとおり、本願第一発明の最高値は反応空間内イオウ濃度〇・〇一五重量%の場合の三一・五モル%(実施例四、五)であつて、前示引用例の触媒一六一を用いた方法のイオウ濃度〇・一二重量%の場合の三六・〇モル%に及ばず、引用例の右方法に比し、その効果は格別のものということはできない。

以上のとおりであるから、審決がその理由の要点4に示した認定判断は相当であるということができる。原告は審決の右認定判断を論難するが、それは本願第一発明の規定するイオウ濃度の限定に臨界的効果のあることを前提とするものであるところ、右臨界的効果が認められないこと前叙のとおりであるから、原告の主張は採用できない。したがつて、右認定判断に基づいて本願第一発明は引用例に記載された技術事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとした審決の判断に誤りはないといわなければならない。

3 以上のとおり、原告主張の審決取消事由は理由がなく、その他審決にこれを取り消すべき違法の点は見当たらない。

三 よつて、原告の本訴請求を失当として棄却することとする。

〔編註〕 本願発明の特許請求の範囲は左のとおりである。

1 酸化バナジウム触媒の存在下におけるナフタレンの接触気相酸化により無水フタル酸と共に一、四―ナフトキノンを製造する方法において、該接触気相酸化を固定触媒床にて行ない且つ反応空間中にナフタレンを基準にして〇・〇〇二~〇・一重量%のイオウ濃度を保持することを特徴とする一、四―ナフトキノンの製造方法。

2 〇・一~二〇〇g/時のナフタレンを加えながら、一lの触媒当り〇・一~一容量%の酸素を含む窒素気流を〇・五~四標準立方米/時の量で三〇〇~四五〇度Cの温度にて触媒上に導びき、しかる後一lの触媒当り〇・二~五・〇容量%の二酸化イオウを含む二酸化イオウ/空気の混合物を〇・五~四標準立方米/時の量で触媒上に導くことにより、触媒を前処理することを特徴とする、固定床酸化バナジウム触媒の存在下に反応空間中にナフタレンを基準にして〇・〇〇二~〇・一重量%のイオウ濃度を保持しながらナフタレンを接触気相化して無水フタル酸と共に一、四―ナフトキノンを製造する方法。

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